大家直美のモデルは実在した?朝ドラヒロインとの共通点や違い解説

大家直美のモデルは実在した?朝ドラヒロインとの共通点や違い解説

NHK朝ドラ「風、薫る」のもうひとりの主人公大家直美。

上坂樹里さんが演じるこのキャラクター、実は実在した人物をモチーフにしているって知っていましたか?

そのモデルになったのが、明治時代に生きた看護師鈴木雅(すずき まさ)という女性です。

夫を亡くしたシングルマザーとして2人の子を抱えながら上京し、当時賤業と蔑まれていた看護の世界に飛び込んだ人物。

そこから日本初の派出看護婦会を立ち上げ、看護という職業を社会に根付かせるために奮闘した、まさに時代を切り拓いた女性でした。

ドラマの大家直美とは生い立ちが大きく異なる部分もありますが、したたかに生き抜く強さや、アメリカ留学を夢見るエピソードなど、史実がベースになっている部分も多くあります。

この記事では、鈴木雅とはどんな人物だったのか、ドラマとの共通点や違いも含めながら詳しく紹介していきます。

ドラマをより深く楽しみたい方は、ぜひ最後まで読んでみてください。

目次

大家直美のモデルは誰?実在の人物・鈴木雅とは

朝ドラ「風、薫る」の主人公大家直美のモデルになったのは、明治時代に実在した看護師鈴木雅(すずき まさ)さんです。

ドラマでは上坂樹里さんが演じています。

鈴木雅さんってどんな人物だったのか、まずは基本的なプロフィールから見ていきましょう。

鈴木雅のプロフィール

鈴木雅さんは1857年(安政4年)12月26日生まれ、静岡県出身の看護師です。1940年(昭和15年)に83歳で亡くなっています。

旧姓は加藤で、父加藤信盛は静岡県の士族。父は鳥羽伏見の戦いにも参戦した人物で、武家の家柄に育った女性でした。

1878年に陸軍の鈴木良光と結婚し、2人の子どもをもうけます。しかし夫は仙台に任務で赴いた後、5年後に病没。

鈴木雅さんはシングルマザーとして子どもを抱えたまま上京することになります。

ちなみに、見た目の話をすると、当時の女性が日本髪や束髪が当たり前だった時代に、鈴木雅さんは断髪だったと言います。

前髪を眉の上で切りそろえ、実用性を重視した姿が写真にも残っています。時代を先取りした、かなり個性的な女性だったようですね。

ドラマの大家直美とは出自がかなり異なります(直美は捨て子という設定)。

シングルマザーとして逞しく生き抜いたという点では、モデルの鈴木雅さんの強さが直美のキャラクターに受け継がれているのかもしれません。

大家直美と鈴木雅の共通点や違いは?

ドラマのヒロイン大家直美は鈴木雅さんをモチーフにしていますが、再現ではありません。

NHKは、大胆に再構成したフィクションと明言しています。

共通している部分もあれば、ドラマオリジナルの設定も多いので整理してみます。

ドラマと史実の相違点と共通点(※ネタバレあり)

まず大きな違いが、生い立ちです。

ドラマの大家直美は、生後まもなく母親に捨てられ、キリスト教の牧師に育てられたという設定。家族と呼べる存在がなく、自分の力と運だけを信じて生きてきた、かなりタフな女性として描かれています。

一方、モデルの鈴木雅さんは静岡県の士族加藤家の生まれで、家族がいる環境で育ちました。

フェリスセミナリーで英語教育を受け、恵まれた教育環境にいた人物です。

捨て子で家族なし、という設定はドラマオリジナルということになります。

つぎに、共通している点を整理してみます。

シングルマザーという境遇や看護の世界に飛び込む流れ、アメリカ留学を夢見るというエピソードあたりは史実と重なります。

また、ドラマでは、プライドより実利を優先する柔軟さや、したたかさといった人物像が描かれます。

訪問看護事業を立ち上げるなど、現実的に物事を動かした人物だったことと通じる部分を感じます。

NHKの脚本家である吉澤智子さんは、清くもあんまり正しくもないリアルな女性、と直美を表現しています。

史実の鈴木雅さんのエッセンスを引き継ぎつつ、ドラマとして新たなキャラクターを作り上げたことが感じられます。

鈴木雅(大家直美)と大関和(一ノ瀬りん)の関係

ドラマでは、大家直美と一ノ瀬りんが強い絆で結ばれたバディとして描かれます。

そのモデルである鈴木雅さんと大関和さんも、看護の世界でともに歩んだ存在です。

二人の実際の関係はどんなものだったのか、史実をもとに見ていきます。

二人の出会いと絆

鈴木雅さんと大関和さんが出会ったのは、明治時代。桜井女学校附属看護婦養成所に同期として入学したときのこと。

当時、看護婦という職業はまだ社会的な認知も低く、正規の教育を受けた看護師はほとんどいない時代でした。そんな中、二人は同じ養成所の門をくぐります。

二人には驚くほど共通点があったようです。どちらも士族出身、どちらも2人の子を抱えたシングルマザー。英語が堪能だった点も同じです。

似た境遇同士、寮生活を送りながら助け合って学んでいたのでしょうか。

一方、看護に対する考え方はかなり違っていたと言います。

大関和さんはキリスト教の信仰に基づく献身と慈愛を大切にした人物。

一方の鈴木雅さんは、看護は女性が経済的に自立するための職業、ちゃんと報酬を得るべき、という現実的な考えの持ち主。

価値観は違えど、女性の自立と看護婦の地位向上、という大きな目標は二人に共通してい他店です。

バディとして看護界を切り拓いた歩み

養成所を卒業した二人は、そろって帝国大学医科大学附属第一医院(現・東京大学医学部附属病院)に看護師長として採用されます。

明治という激動の時代の中、看護婦はまだ賤業と蔑まれることも少なくなかった時代といいます。そんな逆風の中、二人はそれぞれの現場で奮闘していきます。

一時期は別々の道を歩みますが、鈴木雅さんが東京で日本初の個人経営による派出看護婦会を立ち上げると、大関和さんも合流。

鈴木雅さんが事情で経営から退く際には、後継者として大関和さんを指名します。自分が一から作り上げた事業を、信頼できる盟友に託したわけですね。

考え方の違いはあっても、お互いの強みを活かしながら看護界を前に進めた二人の関係は、まさにドラマが描くバディそのものといえそうです。

鈴木雅は英語が堪能だった?

ドラマの大家直美もアメリカ留学を夢見る設定になっています。

これはモデルの鈴木雅さんの実話がベースになっています。

実は鈴木雅さん、明治の女性としてはかなり異色なほどの英語使いだったようです。その背景を見てみましょう。

女学校時代に習得した英語力

鈴木雅さんが英語を身につけたのは、明治時代に横浜の女学校で学んでいた頃のこと。

当時の学校は英語教育に力を入れていました。英語だけでなく、他の様々な科目も英語で授業が行われるほど本格的な環境だったようです。

そんな環境で育ったこともあり、鈴木雅さんは同世代の女性の中でもずば抜けた英語力を持つようになります。

明治の女性が英語を学ぶ機会はとても限られていたと思われます。

その中でしっかりとした英語教育を受けられたことが、後の看護の世界で大きく活きていくことになります。

看護学生時代に英語通訳を担当

看護婦養成所に入ると、鈴木雅さんの英語力が際立ちます。

当時の養成所では、外国人教師が英語で実習指導をしていたのですが、鈴木雅さんは同じ学生の立場でありながらその通訳を務めます。

卒業証書には、看護学を教えるにふさわしいという特別な言葉が、先生に寄り添えられたという話も残っています。

英語力だけでなく、看護の実力も認められていたことが伺えるエピソードです。

アメリカ留学を断念していた

養成所を卒業後、鈴木雅さんはアメリカ行きを真剣に考えます。

看護をより深く学ぶ絶好のチャンスだったのですが、出発直前に人力車と衝突するという事故に遭ってしまい、留学を断念することに。

この事故がなければ、その後の鈴木雅さんの人生は、まったく違う展開になっていたかもしれませんね。

鈴木雅(大家直美モデル)の生涯とは

ドラマの大家直美のモデルとなった鈴木雅さんは、明治という激動の時代をどう生きた人物だったのでしょうか。

生い立ちから看護の道へ進むまでの歩みを追っていきます。

生い立ちと青年期〜結婚・上京

鈴木雅さんは、静岡県出身の士族加藤家に生まれます。

若い頃に、横浜の女学校で本格的な英語教育を受け、当時の女性としては恵まれた教育環境で育ちます。

結婚後は夫の赴任先について各地を転々とし、2人の子どもにも恵まれます。

ところが夫を病で亡くし、鈴木雅は2人の子を抱えたシングルマザーとして上京することになります。

明治の時代にシングルマザーで自立して生きることがどれほど大変だったか、想像を絶します。

夫が亡くなったときの十分な看護を受けさせられなかったという後悔が、鈴木雅さんを看護の道へ向かわせた、とも伝えられています。

看護婦養成所への入学

上京後、生計を立てる手段を探していた鈴木雅さんが選んだのが、桜井女学校の附属看護婦養成所への入学でした。

明治時代の看護婦は、お金のために汚い仕事をする賤業と世間から蔑まれていたといいます。

士族出身の女性がその道を選ぶこと自体、相当な覚悟が必要だったと想像します。

養成所では、外国人教師から当時最先端のナイチンゲール方式の看護を学びます。

英語が堪能だった鈴木雅さんは。授業の通訳も担当するほどで、同期の中でも飛び抜けた存在感を発揮します。

ここで鈴木さんは、のちに生涯の盟友となる大関和さんに出会います。

帝国大学病院でのトレインドナース時代

養成所を卒業した鈴木雅さんは、帝国大学医科大学附属第一医院(現・東京大学医学部附属病院)の内科で看護師長として働くことになります。

トレインドナース、つまり正規の教育を受けた看護師の誕生です。

とはいえ、当時の病院内では新参のトレインドナースは、かなり肩身の狭い思いをしていたといいます。

それまでの古参の看病婦たちからすれば、新顔のナースが自信満々に動き回るわけですから、煙たく思われるのも無理はなかったかもしれません。

そんな逆風の中でも鈴木雅さんは実力を発揮し、看護師長として現場をまとめるようになるのです。

大家直美モデル鈴木雅の功績を整理

ここまで鈴木雅さんの人生を追ってきました。改めてその功績を整理してみます。

賤業と蔑まれていた看護の仕事を、女性が誇りを持って働ける職業に変えていくために、鈴木雅さんがやり遂げたことは想像以上に大きなものでした。

日本初の個人経営による慈善看護婦会(のちの東京看護婦会)の設立です。

今でいう訪問看護の先駆けで、病人のいる家庭に看護婦を派遣するという仕組みを日本で初めて作り上げました。

しかも会則には貧しい人には無料で看護を提供することまで盛り込んでいた。

当時の社会には、お金のある人しかまともな看護を受けられないという現実があったわけで、鈴木雅はそこにも目を向けていたんですね。

さらに、東京看護婦講習所を開設して次世代の看護婦育成にも力を注ぎます。

当時は、十分な教育を受けないまま現場に出る看護婦が横行していたとか。

そんな中で、ちゃんと訓練を受けた看護婦こそが本物、という基準を作っていったのが鈴木雅さんです。

ドラマの原案本の著者いわく、看護職への貢献度からいったら鈴木さんのほうがヒロインとまで言わしめた人物です。

今まであまり知られていなかったというのは、ちょっと意外でした。朝ドラ「風、薫る」をきっかけに、もっと多くの人に知ってほしい女性です。

大家直美は上坂樹里さんが好演中↓

大家直美のモデルは実在した?朝ドラヒロインとの共通点や違い解説まとめ

大家直美のモデルとなった鈴木雅さんは、明治時代に実在した看護師です。

シングルマザーとして苦労しながらも看護の道に進み、日本初の派出看護婦会を立ち上げるなど、看護という職業の確立に大きく貢献した女性です。

ドラマの大家直美とは生い立ちなどフィクションの部分も多いですが、したたかな強さやアメリカ留学を夢見るエピソードなど、鈴木雅さんの実像が随所に反映されています。

また、バディである一ノ瀬りんのモデル大関和さんとの関係も、価値観の違いを超えて看護界を二人三脚で前に進めたという史実がもとになっています。

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